曇天様々
今日は涼しいですな。曇り空のおかげです。
この気温でも例年より高め。普段の9月の気温に一気に変わると寒く感じるかもしれません。
暑さもあとしばらく。せいぜい暑さを楽しんでおいて下さい。
この後は10月まで台風オンパレードですよ。
覚悟、覚悟。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年09月03日11:09
うらやましいろ!おわら風の盆

八尾の町屋で宴会をして、おわらの踊り見学中です。さすが優雅な踊り。
歌い手は、中村先生の方が上手。
また涼しくて、見学に持って来い!
今夜は楽しみます。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年09月01日19:41
話が下手くそな人
虹が見えるよ
前健ガンバレ!
今朝のNHKスポーツ大陸。広島のエース前田健太投手。
今まで名前は知っていたが、すごい投手になった。
彼のストレートに対する意気込みは大したものだが、一番気に入った言葉が、大阪生まれの前田選手が広島で暮らすようになり、一番心が落ち着くのが原爆ドームの平和公園だと言った事だ。
あそこで自分が野球を出来る幸せを思い、力をもらえると言っていた。
まだ22才だが、一変でファンになってしまった。
弱小チームで勝ち星がなかなかつかないが、球界一番のエースを目指して欲しい。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月29日11:00
今年は大雪か?
この猛暑の原因は、ラニーニャ現象だと言われています。
長期予報でも10月一杯は高温傾向だとか。その後一気に冬に向かうのかもしれない。
家も培養ハウスの建設を11月一杯には終わらなければならない。
12月に入ると初雪がそのまま根雪になる可能性がある。
同じようにラニーニャだった2004年。ワシが町内会長の年だった。12月初旬に降った雪が根雪になり、そのまま連日の雪。あの年はみんなが年内に雪下ろしをした。
公民館の雪下ろしも年内に一回。年明けにも役員だけでやった。
道路が圧雪で固まり。道を通行止めにして圧雪を割って処理したものだ。
年内に除雪予算が無くなってしまった。
あんな大雪はこりごりだが、適当に寒いのは世の中の景気の為にもいい。
政治が景気対策に無能な分、自然が助けてくれる。
長期予報でも10月一杯は高温傾向だとか。その後一気に冬に向かうのかもしれない。
家も培養ハウスの建設を11月一杯には終わらなければならない。
12月に入ると初雪がそのまま根雪になる可能性がある。
同じようにラニーニャだった2004年。ワシが町内会長の年だった。12月初旬に降った雪が根雪になり、そのまま連日の雪。あの年はみんなが年内に雪下ろしをした。
公民館の雪下ろしも年内に一回。年明けにも役員だけでやった。
道路が圧雪で固まり。道を通行止めにして圧雪を割って処理したものだ。
年内に除雪予算が無くなってしまった。
あんな大雪はこりごりだが、適当に寒いのは世の中の景気の為にもいい。
政治が景気対策に無能な分、自然が助けてくれる。
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◆2010年08月28日14:30
温水高 事件
我が家のシャワートイレ、誰だか知らないが、温水を高にするヤツがいる。誰に言っても知らないと言うが、ワシ以外みんな怪しい。これに時々ひっかかるとお尻を浮かすくらい熱く感じる。
まあ火傷するほどではないが、微妙にデリケートな部分なんでいつもビックリする。
予防線を張って事前に温度を確かめるが、下げても最初は温度が高いんで同じだ。
今朝もやられた。
家には意地悪ばあさんがいるらしい。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月25日09:05
越中おわら風の盆ツアー募集中
告知します。冬頭町民限定。
小林君からの情報。
八尾のおわら風の盆見学ツアーです。たまたま通りぞいの民家の二階の部屋が空き、幾らでもいいから借りてとの情報が入りました。通常なら20万円取られるそうな。
13人限定。
9月1日、冬頭夕方4時出発。
一人12000円。
お弁当付き。
ほとんどがバス貸切代金です。
ご存知のように最近のおわら人気で、どこへ行っても大賑わいで、落ち着いて踊り見物が出来ません。また休憩施設も少なく、年寄りではとても行けません。
今回は、バスが近くまで送迎するので、歩いても50メートル。
眼下に踊り流しを見ながらビールをが飲める。最高の条件です。
すでに民謡同好会講師の中村先生は、こんなに安いのは初めてと即決申し込みされました。
ご希望の方は、中田、小林いずれかにご連絡下さい。
夫婦、親子歓迎します。
早い者勝ちです。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月24日15:44
面白くないブログ

昨夜ある市長候補の個人演説会があり、冬頭のJA本店に行った。水門後援会として召集をかけたが、まずまずの参加者でありがたかった。
隣に座った一雄さんが、最近のお前のブログは面白くないな。と言われた。
確かに自分でも思うが、国の政治はワシが言わなくても連日テレビで醜態をさらしているので、よしとします。
評論家の金先生が、民主党は解散せず、とことんやってほしい。と言っていました。そうすれば国民は気付くはずだと。まったく同意見です。
さて経済も最近積極投資政策論者も増え始めているようで、後は政治家頼みですが、これはどうにもなりません。増税で景気が良くなると本気で思っている政治家がいる限りダメだなこりゃ。
特殊アジア諸国も相変わらず。観光客が増える分、醜態を日本人が見て悟るでしょう。
中国も上海ショックまで秒読み。
ワシがどうのこうのと書かなくても世間一般に知れ渡ります。
後はワシ自身がどう悟れるかだけです。
まあ今後も面白くないブログを書いていきましょう。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月23日09:54
シュールひだっち
農協のカレンダーと一緒に引っ掛けてあるひだっちとお守り、それにマックポテトストラップ。ただそれだけなんですが、こうやって切り取るとなかなかシュールでしょう?
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月22日18:09
読んで涙が出た昭和天皇の逸話
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◎井上政典 【天皇陛下を戴く国民としての幸せ】
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毎週金曜日あさ7時から8時半まで、お仏壇のはせがわ本店の会議室で宗教哲学の勉強会に参加しています。仏教、神道、キリスト教などのお話を企業の経営者の方々と一緒に生長の家谷口雅治先生の本を輪読しながら本音を語る会です。
本日の会で、講話にこられた生長の家の松岡講師からたいへん有意義なお話をお聞きしましたので、皆様にご紹介したいと思います。
政治をみれば腹の立つことばかりで、日本人として恥ずかしくなり、自信を失いかけていたのですが、本日のお話によりまた復活し、日本の将来のために自分のできることをしようと決意を新たにしたのです。
そのお話とは、松岡講師がまだ若いころ、20年以上前のお話です。以下松岡講師のお話をまとめました。
松岡講師談:
佐賀に因通寺というお寺があり、そこの梵鐘に、昭和天皇の御製が鋳込まれていると聞きつけ、そのお寺に見に行った事から始まります。佐賀はとても田舎ですが、更に田舎の基山町にそのお寺はありました。車で坂道を登っていくと、不意に広い場所になりました。よく見るとそこは、幼稚園の園庭でした。幼稚園の人が血相を変えて、とんできました。無理もありません、幼稚園の園庭に急に車が入ってきたものですから。
お詫びと共に来訪の意を告げると幼稚園の方の表情が一変し、それならば住職にご紹介しましょうと、飛び込みの私を寺に案内していただきました。
すると、私と入れ替わりに白髭を蓄えた紳士とすれ違いました。気にも留めずに調寛雅(しらべかんが)住職から直接お話を聞くことができました。
昭和24年5月22日に佐賀の基山町の片田舎にお寺にどうして天皇陛下が行幸されたかというと、寺で戦災孤児の面倒を見ていたからです。引き上げ船が博多港へ付くと孤児たちは福岡市内の高宮中学に入れられたそうです。それを佐賀県からリヤカーを引いて調(しらべ)住職が引き取りに行かれていました。(大体40kmくらい離れています。)
戦災で親を亡くした子供たちは、恐怖とあまりにも大きな悲しさでまったくの無表情で、男の子も女の子のなく坊主頭でそこには無数のしらみが付いていたそうです。その一人ひとりを抱きしめながら、『心配しなくてもいいんだよ、これからはもう仏の子だからね』と語りかけたそうです。
そういう子供たちの面倒を見ているお寺があると昭和天皇がお聞きになられ、佐賀に行幸の折、ぜひ寄られたいといわれ、お寺の孤児院への見えられました。
廊下にじゅうたんを曳き、天皇陛下は靴のまま歩かれます。その廊下に沿って部屋が並び、そこに2,3人づつの孤児たちの部屋を回られました。一人ひとりに声をおかけになり、その場の雰囲気がすごく暖かくなったそうです。
ある女の子の前に行かれたとき、その子は両膝にひとつずつ位牌を持っていたそうです。天皇陛下は、その子にその位牌はお父さん?お母さん?とお聞きになりました。子供が、父はソ満国境で名誉の戦死、母は引き上げ途中に病のために亡くなりましたとはっきりとした口調で答えたそうです。
そして、「お寂しい」、(いやこういう声ではなかった、「お寂しい」いやいやそうではないと、天皇陛下がその時に発せられたお声を調住職は10回ほど真似られました。いや違いもっと深いところからのお声だったと言われました。)
するとその女の子は、「いいえ、さびしい事はありません。私は仏の子です。仏の子は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんともお浄土に行ったら、きっともう一度会うことができるのです。
その時に、天皇陛下は廊下と部屋に引いてあった紐を越え、靴のままで少女に近づき、頭をなでられ、音が聞こえるくらいの大粒の涙をぼとぼとと畳の上に落とされました。
ご案内している住職も、新聞記者たちもみなその時に一斉に泣き出したそうです。
孤児院から出られるとき、孤児たちが陛下の袖を持ち、「またきてね、お父さん」といったそうです。
陛下は、流れる涙を隠そうともせず『うん、うん』とうなずいておられたそうです。
そして後に、一首の歌が届けられました。
「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」
という御製でした。
調住職はこの昭和天皇陛下のお言葉をみなに響き聞かせようと、この御製を寺の梵鐘に鋳込ませました。いまでも、因通寺に行くとこの梵鐘の響きが当たり一帯に響き渡ります。
その後、住職が奏上を終え、ほっとしていると長い坂ノ下でたくさんの人々の出迎えを受けた天皇陛下がおられたそうです。しかし、その中にはシベリアへ連れて行かれ赤化教育を受け、わざわざ上京し、共産党へ入党した元兵士の一団がむしろ旗をたてて(昔百姓一揆で使用、反抗の意を表す旗、筆者注)すごい形相で待ち受けていたそうです。
陛下をお守りしなければと駆けていこうとしましたが、先に陛下がその人々とお話になれていました。その一人ひとりに声をおかけになり、『たいへんだったね』、『辛かったでしょう』『辛い思いをさせてすまなかった』と言われていると、そのむしろ旗を持ってすごい形相の男が不意に地面に手をつき、「こんなはずじゃなかった、俺が間違っておった」と号泣し始めたそうです。後で聞くと、その青年の懐には短剣が忍ばせていたそうです。
そこまで松岡講師にお話をなさると、調住職は不意にそうだ、私はあなたにこんな話をするつもりが一切なかった。もし、この話をするとわかっていたら、先ほどの人を紹介するのだったといわれたそうです。
松岡講師が、『あの白髭の紳士のことですか』とお聞きになると、
『そう、彼はこの寺の檀家総代でな、あのときに昭和天皇の前でひざまづいて号泣した人だよ』と答えられました。
松岡講師の話を終わります。
天皇陛下は、私心なく私たちを元元(おおみたから)とお思いなって毎日過ごされています。これは、古事記に「恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨み、以って元元(おおみたから)を鎮(つつし)むべし」と神武天皇への詔勅にあります。
このような天皇陛下の下にいるからこそ、総理大臣がころころかわっても日本の国はまだ安泰なのです。しかし、この陛下に対する尊崇の念を忘れる日本人が多くなってきたらこの国が普通の国へと堕落していくでしょう。
天皇陛下のおおみごころをしっかりと肝に銘じ、心ある有志を中心に日本国を盛り上げて行きたいと思います。
(歴史ナビゲーター)
◎井上政典 【天皇陛下を戴く国民としての幸せ】
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毎週金曜日あさ7時から8時半まで、お仏壇のはせがわ本店の会議室で宗教哲学の勉強会に参加しています。仏教、神道、キリスト教などのお話を企業の経営者の方々と一緒に生長の家谷口雅治先生の本を輪読しながら本音を語る会です。
本日の会で、講話にこられた生長の家の松岡講師からたいへん有意義なお話をお聞きしましたので、皆様にご紹介したいと思います。
政治をみれば腹の立つことばかりで、日本人として恥ずかしくなり、自信を失いかけていたのですが、本日のお話によりまた復活し、日本の将来のために自分のできることをしようと決意を新たにしたのです。
そのお話とは、松岡講師がまだ若いころ、20年以上前のお話です。以下松岡講師のお話をまとめました。
松岡講師談:
佐賀に因通寺というお寺があり、そこの梵鐘に、昭和天皇の御製が鋳込まれていると聞きつけ、そのお寺に見に行った事から始まります。佐賀はとても田舎ですが、更に田舎の基山町にそのお寺はありました。車で坂道を登っていくと、不意に広い場所になりました。よく見るとそこは、幼稚園の園庭でした。幼稚園の人が血相を変えて、とんできました。無理もありません、幼稚園の園庭に急に車が入ってきたものですから。
お詫びと共に来訪の意を告げると幼稚園の方の表情が一変し、それならば住職にご紹介しましょうと、飛び込みの私を寺に案内していただきました。
すると、私と入れ替わりに白髭を蓄えた紳士とすれ違いました。気にも留めずに調寛雅(しらべかんが)住職から直接お話を聞くことができました。
昭和24年5月22日に佐賀の基山町の片田舎にお寺にどうして天皇陛下が行幸されたかというと、寺で戦災孤児の面倒を見ていたからです。引き上げ船が博多港へ付くと孤児たちは福岡市内の高宮中学に入れられたそうです。それを佐賀県からリヤカーを引いて調(しらべ)住職が引き取りに行かれていました。(大体40kmくらい離れています。)
戦災で親を亡くした子供たちは、恐怖とあまりにも大きな悲しさでまったくの無表情で、男の子も女の子のなく坊主頭でそこには無数のしらみが付いていたそうです。その一人ひとりを抱きしめながら、『心配しなくてもいいんだよ、これからはもう仏の子だからね』と語りかけたそうです。
そういう子供たちの面倒を見ているお寺があると昭和天皇がお聞きになられ、佐賀に行幸の折、ぜひ寄られたいといわれ、お寺の孤児院への見えられました。
廊下にじゅうたんを曳き、天皇陛下は靴のまま歩かれます。その廊下に沿って部屋が並び、そこに2,3人づつの孤児たちの部屋を回られました。一人ひとりに声をおかけになり、その場の雰囲気がすごく暖かくなったそうです。
ある女の子の前に行かれたとき、その子は両膝にひとつずつ位牌を持っていたそうです。天皇陛下は、その子にその位牌はお父さん?お母さん?とお聞きになりました。子供が、父はソ満国境で名誉の戦死、母は引き上げ途中に病のために亡くなりましたとはっきりとした口調で答えたそうです。
そして、「お寂しい」、(いやこういう声ではなかった、「お寂しい」いやいやそうではないと、天皇陛下がその時に発せられたお声を調住職は10回ほど真似られました。いや違いもっと深いところからのお声だったと言われました。)
するとその女の子は、「いいえ、さびしい事はありません。私は仏の子です。仏の子は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんともお浄土に行ったら、きっともう一度会うことができるのです。
その時に、天皇陛下は廊下と部屋に引いてあった紐を越え、靴のままで少女に近づき、頭をなでられ、音が聞こえるくらいの大粒の涙をぼとぼとと畳の上に落とされました。
ご案内している住職も、新聞記者たちもみなその時に一斉に泣き出したそうです。
孤児院から出られるとき、孤児たちが陛下の袖を持ち、「またきてね、お父さん」といったそうです。
陛下は、流れる涙を隠そうともせず『うん、うん』とうなずいておられたそうです。
そして後に、一首の歌が届けられました。
「みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ」
という御製でした。
調住職はこの昭和天皇陛下のお言葉をみなに響き聞かせようと、この御製を寺の梵鐘に鋳込ませました。いまでも、因通寺に行くとこの梵鐘の響きが当たり一帯に響き渡ります。
その後、住職が奏上を終え、ほっとしていると長い坂ノ下でたくさんの人々の出迎えを受けた天皇陛下がおられたそうです。しかし、その中にはシベリアへ連れて行かれ赤化教育を受け、わざわざ上京し、共産党へ入党した元兵士の一団がむしろ旗をたてて(昔百姓一揆で使用、反抗の意を表す旗、筆者注)すごい形相で待ち受けていたそうです。
陛下をお守りしなければと駆けていこうとしましたが、先に陛下がその人々とお話になれていました。その一人ひとりに声をおかけになり、『たいへんだったね』、『辛かったでしょう』『辛い思いをさせてすまなかった』と言われていると、そのむしろ旗を持ってすごい形相の男が不意に地面に手をつき、「こんなはずじゃなかった、俺が間違っておった」と号泣し始めたそうです。後で聞くと、その青年の懐には短剣が忍ばせていたそうです。
そこまで松岡講師にお話をなさると、調住職は不意にそうだ、私はあなたにこんな話をするつもりが一切なかった。もし、この話をするとわかっていたら、先ほどの人を紹介するのだったといわれたそうです。
松岡講師が、『あの白髭の紳士のことですか』とお聞きになると、
『そう、彼はこの寺の檀家総代でな、あのときに昭和天皇の前でひざまづいて号泣した人だよ』と答えられました。
松岡講師の話を終わります。
天皇陛下は、私心なく私たちを元元(おおみたから)とお思いなって毎日過ごされています。これは、古事記に「恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨み、以って元元(おおみたから)を鎮(つつし)むべし」と神武天皇への詔勅にあります。
このような天皇陛下の下にいるからこそ、総理大臣がころころかわっても日本の国はまだ安泰なのです。しかし、この陛下に対する尊崇の念を忘れる日本人が多くなってきたらこの国が普通の国へと堕落していくでしょう。
天皇陛下のおおみごころをしっかりと肝に銘じ、心ある有志を中心に日本国を盛り上げて行きたいと思います。
(歴史ナビゲーター)
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月21日16:22
どこまで安くなるか?
昨日、名古屋北部市場の仲卸丸進の藤田君が様子を見に来た。
最近の情勢を聞いたが、最近でなく低調で、椎茸はどこの産地も買いたたかれる現状だそうです。
家の椎茸も去年は高値で220円していたものが200円に。下等品も10円から20円安くになっている。
まだ家はいい方で、棚保ちしない椎茸は、買い手が無くて出荷を断る事もあるという。
全国的に椎茸生産量が増えたが、消費量は伸びずこのデフレスパイラルの下では高値は望めない。
これからは淘汰される時代になった。
今まで、ブロック単価1000円位で売れていた産地が、500円600円ではやっていけるのか?
元々単価が低くく、収量も低かった家にはなんの支障も無く。今後培養ハウスを作って、しっかりした菌床が出来るようになれば、収量が増え今より良くなるので、まだまだ安くなっても大丈夫です。
また家の椎茸は棚保ちが良く、店には評判がいい。またどんな販売単価にも対応して、量を詰め分け出来る機械を来年より導入するので、これで鬼に金棒です。
まあ座して時を待つだけですな。
最近の情勢を聞いたが、最近でなく低調で、椎茸はどこの産地も買いたたかれる現状だそうです。
家の椎茸も去年は高値で220円していたものが200円に。下等品も10円から20円安くになっている。
まだ家はいい方で、棚保ちしない椎茸は、買い手が無くて出荷を断る事もあるという。
全国的に椎茸生産量が増えたが、消費量は伸びずこのデフレスパイラルの下では高値は望めない。
これからは淘汰される時代になった。
今まで、ブロック単価1000円位で売れていた産地が、500円600円ではやっていけるのか?
元々単価が低くく、収量も低かった家にはなんの支障も無く。今後培養ハウスを作って、しっかりした菌床が出来るようになれば、収量が増え今より良くなるので、まだまだ安くなっても大丈夫です。
また家の椎茸は棚保ちが良く、店には評判がいい。またどんな販売単価にも対応して、量を詰め分け出来る機械を来年より導入するので、これで鬼に金棒です。
まあ座して時を待つだけですな。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月21日09:58
孫が来るのを待っています
こう書くと、お前に孫はおったか?と言われそうですが、孫はまだ生まれていません。
でも10月には会えるはずです。名前ももう決まっています。
穂高という名前です。父親が山が好きで、憧れの山の名前を息子に付けました。字画もいいようで、母親も無事で会えるのを楽しみしています。
さて孫が高山へ一人で来られるようになるのは、何年生になった頃でしょうか。
今はバスがあるので、高山駅まで迎えに行けば来られるでしょうが、一人で旅が出来るようになるまでにはまだまた先のような気もしますが、もうその時を待ちわびているんです。
都会っ子なんで、川に釣りに連れて行ってやりたいし、山へ虫取りにも行きたい。キャンプやバーベキューもやりたい。
まだまだ先、10年後かな?
でも10月には会えるはずです。名前ももう決まっています。
穂高という名前です。父親が山が好きで、憧れの山の名前を息子に付けました。字画もいいようで、母親も無事で会えるのを楽しみしています。
さて孫が高山へ一人で来られるようになるのは、何年生になった頃でしょうか。
今はバスがあるので、高山駅まで迎えに行けば来られるでしょうが、一人で旅が出来るようになるまでにはまだまた先のような気もしますが、もうその時を待ちわびているんです。
都会っ子なんで、川に釣りに連れて行ってやりたいし、山へ虫取りにも行きたい。キャンプやバーベキューもやりたい。
まだまだ先、10年後かな?
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月20日09:58
日本人の宗教観を考える
特に意識をした訳ではありませんが、だんだん年をとり、身内を亡くし出した頃から、神、仏に対する畏敬の念が強くなってきました。まあワシも一般的日本人と一緒で、正月は神社に初詣、地元のお祭り、墓参り、法事、お葬式のお参り、クリスマスと、信心深くは無くても、行事しきたりととらえ使い分けています。
世界の中には、他の宗教を絶対認めず、殺し合いをしたり、自らが武器となり命を捧げる宗教が、現代の今でもあります。
そんな人たちには、日本人は理解してもらえないでしょう。
しかしその何でも受け入れる宗教観が、世界を救うのかもしれません。受け入れると言うことは、相手を認める事ですから。
世界の三大宗教の創始者のブッダ、イエス、モハメッドは、当時は新興宗教だったはずです。
イエスキリストのように殺されるほどの迫害を受けた方もみえます。
最初は少人数から始まり、数世紀を経て大宗教になったわけです。
どの宗教も長い年月を経るごとに、創始者の考えを勝手に解釈して、色んな宗派やそれを元にした新興宗教が生まれました。その宗派同士で争ったり、殺し合いをしたり。
まったく本末転倒、創始者が聞いたら嘆く事でしょう。
最近のニュースでの子殺し、葬式も出さずに年金受け取り。
まったく嘆かわしい世の中ですが、人間の基本としての宗教教育も大事ではないかと思う今日この頃です。
世界の中には、他の宗教を絶対認めず、殺し合いをしたり、自らが武器となり命を捧げる宗教が、現代の今でもあります。
そんな人たちには、日本人は理解してもらえないでしょう。
しかしその何でも受け入れる宗教観が、世界を救うのかもしれません。受け入れると言うことは、相手を認める事ですから。
世界の三大宗教の創始者のブッダ、イエス、モハメッドは、当時は新興宗教だったはずです。
イエスキリストのように殺されるほどの迫害を受けた方もみえます。
最初は少人数から始まり、数世紀を経て大宗教になったわけです。
どの宗教も長い年月を経るごとに、創始者の考えを勝手に解釈して、色んな宗派やそれを元にした新興宗教が生まれました。その宗派同士で争ったり、殺し合いをしたり。
まったく本末転倒、創始者が聞いたら嘆く事でしょう。
最近のニュースでの子殺し、葬式も出さずに年金受け取り。
まったく嘆かわしい世の中ですが、人間の基本としての宗教教育も大事ではないかと思う今日この頃です。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月19日21:21
みんな痩せたな
今日、島田君と会った。先日は中村君や井口君も。みんな痩せていた。さすがこの暑さで百姓はみんな痩せたな。
ワシも生活は変わらないのに、少し痩せた。やはり暑さのせいで、体温が上がり、代謝が増えたか?
特に今日は、午前中に町内の立ち会いが有ったので、いつもなら涼しい午前中にやる、ハウスへのブロック搬入作業を、一番暑い午後からやり始めた。その前に農協からふすまを買ってきて積んで一汗かいた後なんで余計に暑い。
ハウス内部も直射日光は入らないが、蒸し暑い。
熱中症になりそうである。
夕立が来るのか様子が変わってきたが、少しの一降りが欲しい所だ。
ワシも生活は変わらないのに、少し痩せた。やはり暑さのせいで、体温が上がり、代謝が増えたか?
特に今日は、午前中に町内の立ち会いが有ったので、いつもなら涼しい午前中にやる、ハウスへのブロック搬入作業を、一番暑い午後からやり始めた。その前に農協からふすまを買ってきて積んで一汗かいた後なんで余計に暑い。
ハウス内部も直射日光は入らないが、蒸し暑い。
熱中症になりそうである。
夕立が来るのか様子が変わってきたが、少しの一降りが欲しい所だ。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月19日14:55
冬頭民謡同好会慰労会
昨夜は、先日冬頭盆踊り大会で音頭をとった素人同然の冬頭民謡同好会の慰労会を、ひだまりの湯でやりました。
今まで同好会だけで音頭をとったのが初めての事なんで、当日終了後に盛り上がりどうしても反省会をとの事だったんで、ワシが幹事を引き受けての開催となりました。
ひだまりの湯はお値打ちで、飲み放題、食べ放題、払い放題だったんですが、たった2800円で済みました。さすが民謡同好会の宴会。めでた、返し、東海道、はもちろん。こだいじん。祖谷の粉引き歌、刈干し切り歌、長持ち歌、お立ち酒。みんなが覚えている歌を合唱。
宴会で合唱はめでたくらいですが、みんなで声を出すのは気持ちがいいものです。
今朝は気持ちよい二日酔いでした。
今まで同好会だけで音頭をとったのが初めての事なんで、当日終了後に盛り上がりどうしても反省会をとの事だったんで、ワシが幹事を引き受けての開催となりました。
ひだまりの湯はお値打ちで、飲み放題、食べ放題、払い放題だったんですが、たった2800円で済みました。さすが民謡同好会の宴会。めでた、返し、東海道、はもちろん。こだいじん。祖谷の粉引き歌、刈干し切り歌、長持ち歌、お立ち酒。みんなが覚えている歌を合唱。
宴会で合唱はめでたくらいですが、みんなで声を出すのは気持ちがいいものです。
今朝は気持ちよい二日酔いでした。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月18日10:21
お墓磨き
お盆に備え、8月の初旬お墓の敷石を変えました。
那智グロと言う、飴の名前のような黒い小石を敷き詰めました。
ばあちゃんが一善からふた袋買ってきたんですが、なかなか足らず、後3袋追加して敷き詰めました。
家の墓は、冬頭の共同墓地のはずれにあり、木の陰になっているので、石の表面に緑ゴケが発生しやすいのです。
以前親父のお骨を納めるために、一家総出で金ダワシで掃除した事がありましたが、もうまた広がり始めていました。
今回は一人で磨きました。
よく考え、紙やすりを持って行きました。
少し水を足してペーパーで磨くと、不思議なくらい取れます。
墓全体を磨きました。
古い方の墓はすでに風化して、所々に苔が生えています。
それはそれできれいなので、そっちの方は磨かず、新しい方を磨きました。
新しいと言っても、もう35年も経っているんで、掘った字の中はコケ色なのに、表面はピカピカでちょっとアンバランスですが、新しい墓に変えたかと思うほどきれいになりました。
こうなってくると欲でもっと細かい水研ぎペーパーなら新品同様になるかもと思いましたが、また次回にします。
那智グロと言う、飴の名前のような黒い小石を敷き詰めました。
ばあちゃんが一善からふた袋買ってきたんですが、なかなか足らず、後3袋追加して敷き詰めました。
家の墓は、冬頭の共同墓地のはずれにあり、木の陰になっているので、石の表面に緑ゴケが発生しやすいのです。
以前親父のお骨を納めるために、一家総出で金ダワシで掃除した事がありましたが、もうまた広がり始めていました。
今回は一人で磨きました。
よく考え、紙やすりを持って行きました。
少し水を足してペーパーで磨くと、不思議なくらい取れます。
墓全体を磨きました。
古い方の墓はすでに風化して、所々に苔が生えています。
それはそれできれいなので、そっちの方は磨かず、新しい方を磨きました。
新しいと言っても、もう35年も経っているんで、掘った字の中はコケ色なのに、表面はピカピカでちょっとアンバランスですが、新しい墓に変えたかと思うほどきれいになりました。
こうなってくると欲でもっと細かい水研ぎペーパーなら新品同様になるかもと思いましたが、また次回にします。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月17日17:40
横浜は暑かった
盆前は、注文を揃えるのに大変だった。お盆休みにそなえ少し発生量を制限したんで余計だった。15日は、パートさんもほとんど休み、16日も。収穫だけは来てもらったが、量も少ない。この機会に、横浜で来月が臨月の為に、帰省出来なかった娘夫婦に会いに行った。
15日早朝出発だったので中央道も相模湖まではスムーズだったが、下道を横浜に向かう道路が混んだ。さすがにトラックは少なかったが、乗用車がいっぱい。
帰省も終わり、休みが今日までの人々の群れでした。それでも1時前には到着して、さっそく外食。昼から生ビールとステーキ。でもファミレスなんで安い。
それからは買い物。ららぽーとという巨大ショッピングモールへ。ベビー用品店でベビーシートや布団、色んな小物をお買い上げ。
その後まだ行った事がなかった鎌倉へ。
写真は鶴岡八幡宮の倒れた大銀杏跡です。
ここに鎌倉幕府があったそうです。
その後夕暮れの茅ヶ崎へ。江ノ電のそばを通り抜け、稲村ヶ崎から江ノ島は夕日見物の車で渋滞。
ワシら田舎ものはイライラするが、都会人は渋滞を楽しんでいるとの事です。
さすが地元の婿さんは裏道を抜けて自宅まで。
まあどこへ行っても満員でした。
マンションで泊まったんですが、やはり横浜は暑い。朝で30℃でした。
帰りも下道は大渋滞。高速は下りなんでまずまずの混み具合。
安房峠道路はやはり所々で渋滞でした。
まあ娘も順調で安産を祈るだけです。
今度は陣痛が始まればまた出かけます。
今度はしばらく妻が付き添うので送りがてら、じいちゃんになる日を迎えます。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月17日11:08
年に二回のピーク
今週はお盆。
正月と並び、日本中一斉の休みや移動のシーズンです。
そこで忙しいのが末端のワシら始め、食品サービス産業。他人が休みで行動し、ご馳走を食べる時の裏方が忙しいのです。
椎茸に関して言えば、20年前には、盆の時期が一年で一番椎茸が高い時期でした。
20年前は、バーベキューで椎茸を使いたくても、高くて買えなかったのを覚えていますか?肉より高かったはずです。
それが今は、いつもと値段が変わらず、それでいて無理な注文が増えました。
そんなに欲しければ値段を上げてもいいのに、値段は変わらず、注文だけ増えます。
無理難題を聞かなければならない下請けのようなものです。
しかしいくら注文があっても、こっちの作業が出来ません。
こっちのパートさんも休みなのです。
だから、15日には発生量が少なくなるように、調整していますが、調整すると注文に足らず困っています
毎年盆正月はこれの繰り返しです。
正月と並び、日本中一斉の休みや移動のシーズンです。
そこで忙しいのが末端のワシら始め、食品サービス産業。他人が休みで行動し、ご馳走を食べる時の裏方が忙しいのです。
椎茸に関して言えば、20年前には、盆の時期が一年で一番椎茸が高い時期でした。
20年前は、バーベキューで椎茸を使いたくても、高くて買えなかったのを覚えていますか?肉より高かったはずです。
それが今は、いつもと値段が変わらず、それでいて無理な注文が増えました。
そんなに欲しければ値段を上げてもいいのに、値段は変わらず、注文だけ増えます。
無理難題を聞かなければならない下請けのようなものです。
しかしいくら注文があっても、こっちの作業が出来ません。
こっちのパートさんも休みなのです。
だから、15日には発生量が少なくなるように、調整していますが、調整すると注文に足らず困っています
毎年盆正月はこれの繰り返しです。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月12日18:58
白い椎茸
今日上切のアグリに行ったら、千島の小林さんと会いました。小林さんが、先日バローでそこの椎茸をかあちゃんが買ってきたけど、白すぎてマッシュルームみたいで、椎茸らしくなくて旨そうなじゃなかった。と言われた。
すんませんな。今の時期は干せて白いし、品種がそういう品種なんで。と言い訳しておきました。
ワシは毎年見ているんで、当たり前だと思うんですが、冬の椎茸のイメージがある方には、ちょっと違和感があるのでしょう。
お店側としては、乾燥していて棚保ちがして、喜ばれる椎茸なんですが、今の時期に真っ黒な椎茸を出していたんでは、すぐ腐ってしまいますんで、ちょっと我慢して下さい。
焼いたり煮れば、普通の椎茸の色になりますんで。
Posted by しいたけおじさん at
◆2010年08月11日18:31
東の雲にはっきりとした虹が出てるよ。


